2014年5月6日火曜日

お薬ではなく本当に欲しかったもの


私は過去、何年も精神科に通っていました(*^^*)


そして診察後には毎回たくさんの種類のお薬をもらって帰っていました。
私が病院に通い続けた理由の一つに「お薬が欲しかった」という気持ちがありました。


もちろん「下さい」と言ったわけではなく、診断した結果いただいたお薬です。
食欲が止まるお薬。気分が落ち着くお薬。落ち込みが和らぐお薬などなど・・・


それらを手にした時「これでやっと楽になれる!」と思い、私にもまだ明日が来るように感じていました。


しかしながらお薬の袋にある「精神科」という文字と一緒に、自分の名前が書いてあるお薬の袋を見た時、なんとも情けない気持ちにもなりました(;_;)


負けてしまった自分。弱い自分。
そんな気持ちになりました。


そして何より両親の前で「あ、お薬飲まなきゃ」と袋をカサカサと開けている時、なんだか両親に申し訳ない気持ちになりました。


「こんな子どもでお母さん、お父さん、ごめんなさい・・・」


そんな私は、いつしか心のどこかでこう感じるようになりました。

「本当に薬なんかで私の苦しみが治るものなのか?」
「飲んだら余計に身体や心に悪いんじゃないか?」
「副作用で太るのがこわい」
「自分じゃない自分に、変わってしまうのではないか」


そしてお薬を飲み込むのがこわくてなかなか飲み込めない日もありました。


そんなある日こう思ったのです。

「私はお薬が欲しかったんじゃない」
「私が欲しいものはお薬じゃない」

そんな腹立たしい感情が沸いてきたのです(# ゚Д゚)


でも「本当に欲しいもの」が何かはわかりませんでした。
その「何か」がわかれば、この異常な食欲も治る気がしていました。
でもその「何か」はあまりにも心の奥に黒い固まりとなって沈んでいたのです。


なにせ、その頃の私に、自分の心を見る余裕はありませんでした。
自分と向き合うことができなかったのです。


その理由は、これ以上しんどくなるのは耐えられなかったし。
今、なんとか生きているバランスを崩したくなかったし。
なんとか保てている周囲の人間関係も崩したくなかったし。


私が「本当に自分が欲しかったもの」

それに気づいたのは、それから数年後、金光教の取次師と出会い「お取次(カウンセリングのような一対一でお話すること)」をいただくようになってからでした。


「お取次」の中で、取次師の先生とお話しする中で、私は幼い頃からその「何か」が欲しくて欲しくて諦めきれず、大人になって「過食嘔吐」という形に変わって手を伸ばし続けていることに気づいたのです。


欲しかったのは、温かい「✨愛情✨」でした。


どんな私も愛してくれる愛情。
いつでも抱きしてくれて、頭をなでてくれる愛情。
嫌われたり、呆れられたり、うんざりされない愛情。


それを求めることがずっと怖くて、自分の感情を押え込んで「いい子」で生きてきた自分。本当に欲しいものに気づかないよう、傷つかないように心に蓋をしてきた自分。


取次師の先生はいつもにっこりと微笑んでこう言ってくれました。


「佳世さんは、神様にとっても先生にとっても、大切で愛しい我が子です。佳世さんが欲しいものは、もうすでに手に入れているのですよ。信じられるようになるまで、何度でも先生を試してみて下さい(*^^*)」


そう言ってくれましたが、私はその「無条件の愛情」が信じられませんでした。
だから捨てたり、投げたり、試したりを繰り返しました。
先生を毎日毎日、試し続けました。


そして十数年が経ったいま。今幸せに生きているのです。
毎日死にたかった私が、誰より幸せに生きているのです。
神様と先生という確かな支えを感じ、生きているのです。


それは、神様を疑いたくても、信じざるをえない「自分の命」の奇跡でした✨✨


今もずっと、私の事を神様に祈り続けてくれている先生がいる。
だから「無条件の愛情」がこの世に存在する事を
疑いたくても信じざるを得ないのです。


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